peruminote

かきおき

22/03/25 (      )簡単なことなのさ 頭の中では

こんばんは。ぺるみんです。天然モノのボケに負けがち。

一昨日、友人がTwitterでボケとは、ツッコミとは、と考えていたのを見て以来、自分の中のボケツッコミとは何かが堂々巡り。ので、自分の考えを整理する意味でも書いていってみようと。

(中略)

すみません、中略になってしまいました……。

割といい感じに考えられていたんですが、途中から自分の根幹みたいな部分が出てしまい、文字に残しておくのが危ぶまれたのです。
あ、いや、中学の卒業文集的な危ぶみではなくてね。これを読んだ受け手の方と、伝えたいことが完全一致にならないと嫌だなあって思ってしまいました。

消した文の中ではそもそも、ボケとツッコミに対する定義付けから入っていたのですが、そこも本当に人それぞれあるような気がします。
僕はよく街中のものを見て「〇〇みたいだ」と言うのですが、これはボケと捉えられる事が多いんですね。ただ、僕としては街中のボケにツッコんでいるという意識も有るわけです。ボケ:4、ツッコミ:6くらいの感覚。ツッコミというのなら「〇〇かよ!」と言った方がいいのかもしれませんが、急に街中で声を荒げるとおかしな人になってしまうので、ツッコミっぽくしたつもりがボケ要素の方が強くなってしまうんじゃなかろうか。

そもそも、ツッコミどころがあればボケなのか、それともカウンターの発言であれば全てツッコミになるのか、被せボケとはなんなのか、話を広げれば広げるだけ複雑になってしまいますね。
表現できる言葉が無いのではなく、受け取り方が無数にあるからこそ(中略)をしてしまいました。
本当はこんな(文字数)とか、語彙力が足りないみたいな方法は使いたくなかったんだ…………。

この議題に対する答えを提示するには、言葉を使うにしてももっと適した方法を採用する必要がありそう。一番いいのは対話なんだろうな。言葉に熱量と抑揚をつけて、お互いを擦り合わせつつ進められるから。

ここまで色々考えてみましたが、こういう自分はなぜ……を考えるのは好きで、ボケツッコミのある状態が一番自分にとって自然で自由だなあと感じます。いつも笑いと掛け合いのある状況にいたいよねって気持ち。
最後に僕を自然で自由な環境にいさせてくれる友人に感謝の念を抱き、自由とデタラメの境界線を越えないように身を引き締めて24歳最後の文章を終わりにしたいと思います。ありがとー!