こんばんは。ぺるみんです。神はいたりいなかったりすると思っている。
今日はブルアカが更新日でした。ナギサを引けてハッピーね。メインストーリーも更新されて、楽しみにしていた気持ちと、ネタバレを食らう前にやらねえとなあ!の気持ちとでスタートダッシュを決めました。
まだやってない人が多いと思うので、ストーリーの話はここでは控えます。
今回も駆け抜けたように、僕は完っ全っにネタバレを食らいたくない派なのです。これは何度も言っており、知ってくれている周りの友人の発言を制限しているんだろうなあと申し訳ない気持ちもありますが、ムリなものはムリという面がある。
ただ、振り返ってみると最初っからネタバレ厳禁派ではなかった気がします。いや、オギャアと出てきて「元気な男の子ですよ〜」と言われ「ネタバレやめてください!」なんていう赤ん坊はいない。ネタバレ許容派か厳禁派かは後天的なものでしょう。
僕に関して言うと、中学くらいまでは悪いことですが特撮の早バレサイトを見て次の展開を調べていましたし、高一の頃も攻略サイトを見ながらゲームを進めていました。
あまりネタバレ=つまらなくなるものみたいな発想がなかったんだと思います。
ただ、高二の頃にダンガンロンパで遊び、その時「動画投稿は一章まで」の文言を見て、そういったプレイヤーじゃない人へ広める活動で、制作者側が苦労するんだなあということに気が付き始めます。
今みたいに、インフルエンサーとかが存在する前でしたし。この頃は、ゲーム実況の視聴者はお客さんとして繋がりにくいということが特に言われていた気がします。今はダンガンロンパも一作目は配信が全部解禁されたみたいですね。
そして製作者を意識し始めた僕は、次のステップに進みました。作品に触れるというのは、作り手との閉ざされた世界でのコミュニケーションだ、という考えです。言葉にするとめっちゃ気持ち悪い気がしますけど、今に至るまでずっとこれだと思っている。
作品を出す側は世の中の多くの人にワッと広めるので、そう思ってない人もいるかもしれないですが、広められた全員でコミュニケーションをしているんじゃなくて、作り手と受け手との個と個でのやり取りが無数にあるものと捉えています。
勿論、作品に触れている間はその奥にいる製作者を意識してはいないんですけど(作品を見るとき、キャラはそこで生きているし神の手など存在しないので)、見る側を楽しませよう!という仕掛けに対しては1番新鮮な気持ちで楽しみたいんですよね。
先に〇〇はここで死ぬよとか、△△が犯人だよとか言われると1番の楽しみ方が出来なくなる。というか、この喧伝してくる存在が邪魔すぎる。要らない。プロポーズの言葉を婚約者以外に言われて良い訳ないだろ。
あと、これは僕が弱いだけなんですが、先に作品への感想を見てしまうのも嫌。
例えば、〇〇があそこでああ言ってくれて嬉しかった!みたいな感想を見てから作品に触れて、同じ事を思った時、どちらもオリジナルの感想の筈なんですけど、僕があの感想に引っ張られたのか……?とちょっとでも思ってしまうとなんかモヤモヤします。
僕は僕だ!と強く自分を持てるようになりたいですね。
考えてみると、作品を孤独に楽しむ→SNSに触れるという順序を追ったのが良くなかった気がします。作品について受け手が広く伝える事の方を異文化だと思っちゃってるのが、自分の歪さに繋がっているようだ。
最初から皆でワイワイ出来てる人間だったら違ったのかも。
ただ、小学生の時、クラスで2, 3人で鬼ごっこをしていてめちゃくちゃ楽しかったんですけど、それがいつの間にか他クラスとかも交えて参加者が増えた時にめちゃくちゃ居心地悪く感じたんですよね。
原体験レベルでそれなので、もう閉じたコミュニケーションを好む性格だというのはどうしょうもないね!
でも、この性格になってから長いが故にネタバレへの自衛の手段はいくつも持っていて、もう無作為にネタバレやめろ!とは言わないんですけどね。
そして、自分が作品に触れた後なら、人の感想をめっちゃ知りたがるタイプ。SNSでサーチもする。うお……面倒くせえ奴だな……。
ここまで書いてみて、知られれば知られるほど損しか無いことを書いたなあという気がします。たまにはこういう自分のネタバレをしてみても良いか……。